| 笹舟に乗せた願い さらさら… さらさら… 小川の流れる音がする。 さらさら… さらさら…と。 ベルンの山奥に、小屋と呼んだ方がしっくりくるような、小さな家がある。 そこに一人の少女が居た。 若葉を透かしたような新緑色の髪と、藍色の澄んだ瞳をし、白いワンピースで身を包んだ愛らしい少女だった。 少女はそこで、戦いで負った傷を癒しながら、ただ独り、大事な人の帰りを待っていた。 別れたのはそれほど昔の事ではなかったが、少女には長い時間が経ったように感じられていた。 ―――それは、半年前の冬の事。 「戦いが終わったら戻ってきてくれる?」 「……ああ」 「だったら、おとなしく待ってる! ぜったい…ぜったい生きて帰ってきてね! …約束だよ?」 「必ず戻る」 あの…水の神殿で義母と決別した夜。 出生の秘密を知らされた少女が、感情のままに飛び出したことで義母から受けた傷は思いの他深かった。 少女が傷を癒すには、時間と安静を必要とすると分かった時。少女と共に組織を抜けた少年は、少女の代わりにと、助けてくれたリキアの公子の軍に入ると言って旅立った。 公子に恩を返したいという少女の想いを、少年が汲んでくれたのだ。 日々はとりとめもなくうつろう。 当時は雪化粧に震えていた枯れ枝も、今は初夏の陽射しを浴びて少女の髪と良く似た色彩の葉を茂らせている。 最初。少女は一人ではなかった。 少女が身を隠しながら傷を癒す場としてこの家を提供し、共に暮らさずとも、時々様子を見に来てくれていた初老の男性が居たのだ。 だが、最近何故か姿を見せない。 少女は知らなかったが、世間では少女が属していた組織の弾圧が行われていた。 だが人里から離れたここは、ここだけは切り取られたように平穏で、特に何かが起こるわけでもなく日々はただ過ぎて行く。 今日帰るかもしれない。 明日帰るかもしれない。 少年と連絡を取る術の無い少女は、少年の無事を祈りつつ、待つことしか出来なかった。 想い人をただずっと待つだけの日々… 必ず戻るとは言ったが、本人がそのつもりでもそうはいかないかも知れない。 少年を待つ生活を始めた頃は、彼が無事に戻って優しく抱き締めてくれる…そんな夢を見られた。 だが、彼を待つ時が長くなればなるほど、不安な気持ちが募って不吉な夢を見るようになった…彼が、この世からいなくなってしまい永遠に会えないという悲しすぎる夢。 そんな自分に彼は必ず戻ると言い聞かせ、少女は幸せな未来を想像して…その晩は彼と再会できた夢を見た。 だけど待っているうちにまた不安は募り… 繰り返す幸せな夢と悲しい夢… だから少女は祈りを捧げずにはいられない。 それは、一枚の紙切れ。 「ぶじに、かえってきますように」 学び始めたばかりの拙い文字が、その短冊という紙切れには書かれている。 それは、少女が昔に聞いたあるおとぎ話に因んだものだった。 戦で離ればなれになった男女。 故郷で一人待つ女は、初夏のある夜にだけ出来るまじないを使って男と再会する… そんな、他愛ないおとぎ話。 そして、今宵がその晩だった。 夜、満天の星が輝く晩。 少女の足元を照らす小さな頼りない明かりを手に、小川を目指す。 小川は夜空の星明かりを受け、銀色に輝いていた。 「きっと、帰ってきてね…」 願いを込めて、笹舟を小川にそっと浮かべる。 少女の想いを乗せた舟は少女の小さな手を離れ、水面に揺れ、そして川の流れに身を任せて流れていった。 あの舟はどこまで行くのだろう…川を流れ流れてやがては海へ。 「ずっと、待ってるから…」 願いが天に届くよう、少女は祈りを込めて、笹舟を見えなくなるまでじっと見守った。 今夜は幸せな夢が見られそうな気がする… 「会いたいな…」 せめて、夢の中でもいいから。 少女は小川を後にし、一人家へと帰るのだった。 その次の日も、すがすがしい良い天気だった。 いつも通り、冷たい水で顔を洗おうと小川に向かう少女の目に信じられない光景が映った。 太陽を背に立つよく知った人影。 紅い髪と漆黒の装束が、朝日を照り返して輝いている。 「あ…あ…」 目から涙が溢れる。 今まで寂しさの涙で濡らした頬を、歓喜の熱い涙が伝う。 「ただいま、ニノ」 「お帰りなさい、ジャファル」 あの笹舟のおかげなのかな… 少女は少年に手を伸ばし、恐る恐る触れる。 だって、触れたら夢だったことが何度もあったから。 だけどちゃんと、彼はそこにいた… 「夢じゃないんだ…」 「ああ」 体を寄せると、優しく抱き締めて頭を撫でてくれた。 まるで夢のよう…でも夢じゃないんだ。 久しぶりに彼に触れて、少女はこの上ない幸せを感じた。 「あのね、笹舟流したんだよ…」 何から話し始めよう? 話したいことはたくさんあった。 「笹舟?」 思い付くままに話し始める彼女の話を彼が時折相槌を打ちながら聞く… それは二人がずっと願い続けたこと。 そう…少女だけではなく少年も。 願いを叶えてくれた笹舟はどこまで行っただろう… 少女は笹舟のことを嬉しそうに語る。 紡ぎ出す言葉は小川のように流れていく…さらさら、さらさらと… あとがき 故子です。今回は七夕に因んだお話を書いてみました。 構想自体は3年前くらいからあったのですが、毎年この時期は忙しく、機を逃している内にこんなに時間が経ってしまいました。 七夕らしく、別れ別れの状況に丁度良い「決別の夜」で、ジャファル生存&ニノ離脱の時にだけ見る事の出来る会話をベースにした話にしましたが、この会話…レアなので見たことがある人はそんなに居ないかと思います。分かりづらい話ですみません。 でも、好きなんですよ。この会話。 ここまで読んで戴き有難う御座いました。 駒緒です。 七夕っぽいお話なんですが、設定的に無理があるかなという感じでアレンジしてあります。 ジャファルとの再会が年に一度のものだったりしたら切ないですから。 故子さんが温めてた構想が何とか形にできたみたいでよかったです。 読んで下さってありがとうございました。 2008.7.4 |