| 真実だけを、あなたに コンコン。 木造の扉を叩くと、中から少女が飛び出してくる。 その時の少女――ニノの表情は、待ちきれないといった感じの溢れんばかりの笑顔。 その顔が好きで、ジャファルはこの「お迎え」を密かな楽しみにしていた。 だが、今宵は違った。 「ごめんね、あ…あのね、今日は食事の前に…用事を頼まれちゃったの。だからジャファルは1人で食べて」 俯きがちでそう告げるニノの顔色はあまり良くなく、髪も乱れていて、お世辞にも元気そうには見えなかった。 きっとその『用事』が大変なのだろう。 「…手伝おうか?」 「えっ…う、ううん、大丈夫。本当に…ごめんね」 「気にするな」 手早く閉まる扉を見届けたあと、ジャファルはその前で暫く立ち尽くしていた。 ジャファルはニノと、お互いの都合がつく時はなるべく一緒に食事を摂ろうと約束をしている。 それはニノが言い出した日課で、このオスティアに駐屯し、任務もなく生活リズムが一定になってからは欠かす事なく行われていた憩いの一時だった。 その時間はジャファルの方にとっても楽しみな時間。 そう、愛しい少女が自分に向けて楽しそうにお喋りする様子を間近で眺めながら摂る夕食は格別で、何よりの娯楽だった。 用事があるならば仕方ない。 ジャファルは食堂へ向かうと、片隅にぽつんと置かれたテーブルに腰を下ろし、独りで食事を摂った。 一人で食事をする事は物心がついて以来日常だったはずなのに、いつも傍にいる人が…ニノが居ない食事には違和感があった。 食材も調理方も同じはずなのに、味気なく思える。 ニノの声が聞きたい。無性にそう思った。 だがニノは何か用事があるらしいし、ただニノの声を聞きたいからと再びニノの部屋を訪ねるという考えはジャファルには思いもつかなかった。 明日になればその用事とやらも終わり、楽しい食事でニノの声もたくさん聞けるだろう…ジャファルはそう思って翌朝を迎えるのだった。 だが、そんなジャファルの予想は外れる… 廊下の向こうから歩いてくるニノが見えたので、てっきりいつものように嬉しそうに駆け寄ってきてくれると思ったのだが、こちらに気付かないのか歩みを早める様子すらなかった。 何か考え事でもしているのだろうか… 「ニノ」 ジャファルの声にニノはビクリとする。 やはり気付いていなかったのか…そう思っておはようと続けたジャファルにニノは小さくおはようと返しただけだった。 「用事はすんだのか?」 「え、あ、うん…」 視線も合わせず返事する様子はいつもの快活なニノとは違った… 「ニノ、体の具合でも悪いのか?」 ニノは俯いたまま首を横に振り、用があるからと立ち去った。 取り残されたジャファルには不安な思いだけが残される… ニノに何かしただろうかと考えるが特に思い当たることなどこれといってない。 そして夕方になったが今夜もニノはまた用事があると曖昧な感じに一緒の食事を断った。 一体何故… いよいよ不安は増し、ニノと食事をするようになって以来分かるようになった味もまるで分からなくなり… 強いて言えば苦いのだろうか。昨夜より味気ない食事をジャファルは一人で黙々と口に運ぶのだった。 そんなジャファルの目の前の席が引かれ、どっかりと腰を下ろす男が居る。 「よう、死神」 「……疾風」 疾風ラガルト。崩壊した黒い牙の元幹部の一人。 暗殺を得意とするこの男の気配を察するのは如何にジャファルであっても難しいが、ここまでの接近を許した事は未だかつてなく、ジャファルは自分が如何に深く考え事に没頭していたのかと思い知り、呆然とする。 だがそんな動揺など微塵も表面に出さず、いつもの無表情で目の前の男の動きに意識を集中させた。 「珍しいな、一人だなんて」 「…………」 「おいおい、そう睨むなって。…もしやニノと喧嘩でもしたのか?」 喧嘩…仲違いすること。 そうではないが、全くそうではないと言い切れなかったジャファルは更に口をつぐんだ。 「だから睨むなって。いやな…ニノが向こうでレベッカと一緒に食料を包んで貰っていたから、てっきりお前と別の場所で食べていると思ったんだよ」 ラガルトの言葉はジャファルに衝撃を与えた。 レベッカと食事を摂るためにニノは「用事がある」と言ったのか? ラガルトの言葉を鵜呑みにしてはいけないと理性では分かっているが、感情がついていかない。 動揺するジャファルにラガルトは更に追い討ちをかける。 それは、最近ニノの部屋に男が出入りしているというもの。 言いたいことを散々語ったラガルトは「邪魔したな」と言い残すとその場を後にした。 「ニノ…」 口にしたその名前が、そのままこぼれ落ちていくように感じられて、ジャファルは呆然とした。 ニノの部屋に男が出入りしているとはどういうことなのか。 自分は…ニノと共に食事をすることすらできないというのに。 一度考え始めると物事は悪いほうにしか考えられなくなる。 ニノはその男と居たいがために自分を避けているのだろうか。 昨日からのニノの態度からしてその可能性は高いと考えるのが妥当だろう。 手の届く場所にいたはずのニノがとても遠く感じられ、その喪失感にジャファルは打ちのめされた。 まだニノの口から直接拒絶の言葉を聞いていないのだから、直ぐにでも確かめればいいのだが、それは怖かった。 もし、ジャファルより大事な人が居るの…ニノからそう聞かされたら自分はどうなってしまうか分からない。 そんな思いから、ジャファルは次第に…無意識にだが、ニノを避けるようになっていくのだった。 「ふわぁ…」 噛み殺すには難しい大きなあくびに耐えきれず、ニノは大口を開けて眠気を緩和させると、生理現象で目尻に浮いた涙を拭った。 そんな体調とは裏腹に、ニノの胸は興奮で昂っている。 「えへへ…ジャファル…どんな顔をするかな?」 きっと、喜んでくれる。 そして、自分だけが知っている優しい笑みを見せてくれる。 期待に胸を膨らませるニノだったが、何故か肝心のジャファルが見当たらない。 「ジャファル?そう言えば見てないな」 「死神の事なんて俺が知るはずないだろう?」 「いや、見ていないよ」 誰に聞いても「知らない」と返される。 広いオスティア城の中でニノは途方に暮れた。 思えば、いつもジャファルは自分から現れた。気が付くとさりげなくニノの視界に居て、見守っていてくれた。 いつも、いつも、いつも。 自然と近くに居るものだから「探す」という事もあまりした事が無い。だから、どこを探せば良いのか見当もつかない。 こんな時、頼りになるのは… 「おじさん!」 「ど…どうしたんだ、ニノ?」 ニノは食堂に待ち構えて顔見知り男に…ラガルトに詰め寄る。 「ジャファル…見なかった?」 ジャファルの数少ない知人であり、情報を扱う事にかけては屈指の実力を持つ彼なら何か知っているかもしれない。 ニノの必死の問いにラガルトはニヤリと口の端を持ち上げると、少々大げさに肩を竦めた。 「ふーん…ジャファルねぇ…痴話喧嘩か?」 「ちがうもん!」 「そうか? 本当に?」 ラガルトはニヤニヤ笑いをやめない。その様子にニノの興奮は急速に冷め、不安が足元から這い上がってきた。 そう言えばこの一週間あまり、ジャファルの顔を殆ど見ていない。その理由を考えたら答えは明らかだった。 「…もしかしてあたし…嫌われちゃったのかな?」 思いついた事をそのまま口にすると、更に不安になる。 「どうしよう…」 ひび割れたかのようか声で呟き、肩を落とす。 まるで花が萎れるようにニノは青ざめ、元気が無くなっていった。 「…悪かった、ちょっと遊びすぎたようだな。ニノ、ジャファルに会いたいか?」 「おじさん! 知ってるの?!」 「ああ、お前の部屋で待っていたらいい」 「あたしの…部屋」 「それと言わせて貰うがなニノ、お前ジャファルから想われていることに安心…いや、慢心してるだろう?」 慢心…油断すること。 言われてみれば確かにそうだった。 ジャファルには他の人に対するように「気を遣う」ということがあまりなく、安心し、心から信頼して付き合える。 だからニノにとって特別なのだが、そんなジャファルの優しさに甘えていないと言ったら嘘になる。 ラガルトは更に続けた。 「もっと人の気持ちに敏感にならないとな。ジャファル相手だと特に」 ジャファルは例え意見があったとしても、自分の主張をあまり口に出さない。そんなジャファルを大事に思うなら、表面からだけではなく、彼の気持ちをちゃんと考えて行動しなければならない。 ラガルトはそう言いたいのだ。 「うん、ありがとうラガルトおじさん」 「ああ、しっかりやれよ」 ラガルトに手を振り、ニノは自分の部屋へと向かった。 「ジャファル、来てくれるのかな…」 ラガルトがそう言うのだから、おそらくジャファルにニノの部屋へ行くよう告げてくれるのだろうが、ニノは不安な気持ちでいた。 ニノはそんな気持ちを落ち着けようと、手にしていた服をぎゅっと抱き締めた。 それは、丈の短い胴衣。 黒地の布は縁取りを金の刺繍であしらわれていて、単純に見えるが手の込んだ造りをしていた。 そう、これはニノが初めて作ったジャファルの為の服。 ジャファルを想って作った服だけど、肝心のジャファルをぞんざいに扱ってしまったことをニノは悔やんでいた。 そして嘘をついてしまった事も悔やんでいた。 「寂しかったかな…」 ジャファルにしたことを自分に置き換えたら、寂しいに違いなかった。 毎日の楽しみである食事も一緒に摂らず、しかも、その理由も分からないなんて…たとえ、それがジャファルを驚かせて喜ばせたいという理由があっても、当の本人はそれを知らないのだから。 ラガルトに頑張ると言ったもののジャファルは許してくれるだろうかと思い始めた頃、扉をノックする音がしてニノは顔を上げた。 「ジャファル…!」 来てくれた…久しぶりに見るジャファルの顔はやつれたように見えた。 そして前に見た時より更に痛んできた感のあるジャファルの服… そう、戦闘でボロボロになりかけている服の代わりを作ってあげたいと思って服を縫っていたらジャファルとすれ違ってしまって… 「あの…あのね、これ…」 ニノは手に握っていた服をジャファルに差し出す。 「俺に…くれるのか?」 「ジャファルために作ったの。でも…ジャファルのことほったらかしにしちゃって…ごめんなさい…」 ニノは少しずつ話し始める。 ジャファルに服を作ってあげたいとレベッカに相談したこと。 彼女に教わりながら服を作ることになり、オスティアに居られる限られた時間で作らなければならなかったこと。 だからジャファルとの食事も断り、寝不足を悟られまいと目も合わせなかったこと。 特に「用事がある」などと嘘をついたこと… 話し終わって、ニノは本当にごめんなさいと頭を下げた。 そんなニノの頭をジャファルは少しぎこちなく、だけどとても優しく撫でた。 ニノが自分を想ってくれていることがジャファルの心を暖かくしてくれる… 最初から「用事を頼まれた」などと嘘は言わず、素直に「ジャファルの服を縫っている」と言っていたらこんな事にはならなかった。 ジャファルは嘘をついてはいけない人。もっと大事にしなければならない人。 ラガルトの言葉はそんな忠告の意味が籠っていたのだろう。 それはジャファルも同じだった。 数刻前。 ニノを避けているのに、その傍を離れられず、オスティア城内に独り潜んでいたジャファルの元へ、突然ラガルトが現れこう言った。 「なぜ寂しいと言わない?」 それはジャファルの喉まで出かかり、何とか内に留めた言葉。 そんな分かりきった事を言えば、ニノを困らせてしまう。ニノに迷惑だと思われてしまう。 「言わなければ伝わらない事もある」 石のように黙ったままのジャファルにラガルトは言いたいことを言うと、固くしていた態度を崩し、ニヤリと笑って「頑張れよ」と言い残し、ひらひらと手を振って立ち去った。 この言葉を受けて気付いたのは、ニノを思って我慢したことが、結局、自分が狭心だとニノに思われ嫌われたくないという、自分を守る行為であると言うことに。 それが、本当の理由。 自分の心と向き合う事に疎いからこそ気付き辛かった真実。 それに気付いた以上、ジャファルの行動に迷いは無かった。 だからジャファルも話す。 ニノが自分との約束よりレベッカを優先したこと。更にニノの部屋に男性が出入りしていると聞いて嫉妬してしまった事を。 「それってレベッカのお友達だよ。男の人の服のサイズが分からなかったから測らせてもらったの…それより、ねぇジャファル、あたしにジャファル以上に大事な男の、人が出来ると思う?」 「………ああ」 「そんなこと、ある訳ないよ!」 ニノは激しく首を横に振る。 「ニノ…こんな俺のことなど、いつか必要なくなると思っていた…」 それがここ数日のことなのだと思っていた…先ほどラガルトと話をするまで。 「違うよジャファル。あたしにとって一番大事なのはジャファルだよ。ジャファルだけなんだよ。だから…」 ニノがジャファルに手渡した服に視線を落とす。 「特別なんだよ」 それは、大切な彼への特別な贈り物。 初めて作ったものだし、不器用さがあちこちから滲み出ていたが、ニノの心がこもった品。 「…着てもいいだろうか?」 「え…うん、もちろんだよ!」 ニノの返事が終わるか終わらないかのうちに、ジャファルは服を着替え始めた。 ニノが目のやり場に困ってあたふたしている間にジャファルは着替え終わり、その着心地を確かめていた。 ところどころ失敗したような跡はあるが、ジャファルの体になじむ着心地のよさだった。 若干ゆるく感じるのは寂しさで痩せた分だろうか… 「有難う、ニノ」 ジャファルの言葉にニノは笑顔を見せる。 「気に入ってくれた?」 「ああ、勿論だ」 「じゃあ…あのね、お礼、欲しいな」 「お礼? 何が欲しいんだ?」 元気を取り戻したニノらしい台詞にジャファルは安堵した。 「えっとね…抱き締めてほしいの」 そんなことか…ジャファルはニノの体を両手で包み込んだ。 腕の中のニノはジャファルの感触を確かめるように体をすり寄せた。 ニノが作ってくれた新しい服を身に付け、腕の中には愛しいニノがいる… ジャファルは幸せを噛み締めていた。 「幸せ…だな」 呟く言葉に、ニノはあたしもと微笑む。 誤解が解け、二人の間に幸せな時間が戻る… この幸せを大事にしよう。 お互いの存在が幸せそのものなのだからなくさないようにしよう。 二人はそう、心に誓うのだった。 あとがき 故子です。 今回は嘘をテーマに書いてみましたが、思うように話はまとまりませんでした。 中々難しい内容だったので、またこのような話を書く機会があるときは、もっと精進したいと思います。 しかし、たまにはすれ違うジャファルとニノも書いてみたかったのですが、序盤のジャファルの寂しい様子を書くときは、自分でも心が痛かったですよ… 次回は幸せそうな二人を書きたいです。 とにかく、烈火発売5周年4週連続更新もそれにて終了。無事に完成出来てよかったです。 ここまで読んで頂き本当に有難う御座いました。 駒緒です。 ニノに構ってもらえなくてかわいそうなジャファルが書いてて辛かったです… 基本はラブラブなのが好みなんですが、たまにはこんなのもいいかなと思います。 このすれ違いを通じて更にお互いを大事にしていくんだろうなと思いつつ… 読んで下さってありがとうございました。 2008.5.16 |