癒してあげたい





「…ニノ…ニノ」
「…ん〜なぁに…ジャファル?」
夫に肩を揺すられ、ニノは心地よいまどろみの中から引き上げられた。
「……外」
ジャファルは多くは言わずに窓を指差す。
ニノはあくびを噛み殺し、名残を惜しみながら暖かい布団から這い出すと、上着を引っかけて多少なりと防寒してから、重い鎧戸を開けた。
「わぁーー…」
そこは一面の銀世界。
比較的温暖な気候のリキアでは、これほどの雪は滅多に降らない。
「すごいねジャファル!! ……ジャファル?」
はしゃぐニノとは対照的に、当のジャファルは怪訝そうな顔をしている。
「どうかしたの?」
「…いや……それより朝食にするか?」
僅かな疑問は沸いたものの、気にせずにいつもの朝が始まる。
幸い今日と明日は休日。
ニノは雪という恰好の遊具でジャファルと遊ぼうと、ああでもない、こうでもないと様々な案を練って興奮していた。
一度夢中になるとその事で頭がいっぱいになり、周りが見えなくなるのはニノの悪い癖。
だからその間、ジャファルがずっと眉間に皺を寄せていた事に全く気が付かなかった。

ジャファルの悪い予感は当たる事になる。
雪はその日一日止まず、次の朝にはかなりの積雪になっていたのだ。
山間は平野より雪が多く降るものだ。
過去…黒い牙に属していた頃も、アジトの周囲はこんな風に深い雪に埋もれていた。だがこれは…
「昨日より積もってるね…」
さすがにニノもこの雪の量に危機感を覚えたらしく、心配そうにジャファルの顔を見上げた。
「ああ」
返事をしつつジャファルは対策を考えていた。
昨日ニノと遊びながらできた雪かきも、今日は本格的にやらなければならないだろうし、屋根に積もった雪も心配だ。早めに降ろしておかなければ家が傷んでしまう。
とはいえ、今すぐどうなるという事もなさそうなので、とりあえず朝食を済ませてからで良かろうと判断し、その旨をニノに伝えた。
「うん! 朝ごはん食べてから頑張ろうね!」
ニノは早速朝食の準備に取り掛かり、ジャファルは部屋を暖めたり防寒着や雪かきの道具を用意したりとその後の作業に備えた。

先ずは庭の家畜の居る小屋の周りを整備し、次いで水場への道を作る。
スコップを巧みに使って雪をかき分け、踏み固め、手早く作業を進める。
ニノもスコップ片手に夫を助ける。彼女なりに精一杯に。
自宅から水場まではさほど距離は無かったが、こうやって道を作るとなると話は別だ。
作業を終える頃になると、ジャファルとニノの額は汗でぐっしょり濡れていた。
幸い雪は止んでいるから良かったものの、もし吹雪の中作業することになったらと思うとゾッとする話だ。
「はぁ…おいしい」
ニノは手袋を外し、小川から直接水をすくって一口飲んだ。
水はそれこそ切れそうなくらい冷たかったが、渇いた喉には心地よい。
ジャファルとニノがいつも使用している小川は、この豪雪の中も変わらずに流れている。
その変わらぬ姿はジャファルを安心させた。
「ジャファル、次はどうしよう?」
「そうだな…」
暫し考える。
働きに出ているジャファルと違い、ニノは春まで自宅近辺から外出することは殆どない。
この水場までの道が開けたら他は問題ないように思えた。
視線を巡らせると、屋根の上に積もった雪が目に入った。
「…あの雪を降ろそうと思う」
ジャファルが指を差してそう告げると、ニノは顔を輝かせた。
屋根の上の作業はきっと面白いに違いない。
「うん、がんばる!」
そう宣言すると、ニノはジャファルが止める間もなく、先ほど雪かきしたばかりの道を走っていってしまった。

「ニノ、気を付けるんだ」
「はーい」
幸いニノが雪道で転ぶということはなかったが、その後がよくなかった。
無用心にもスコップで屋根の下から雪をつついたものだから…
「あっ! きゃあ!!」
案の定。あっという間にニノは崩れた雪に埋もれてしまった。
「ニノ、大丈夫か!?」
ジャファルは必死になって雪の中からニノを助け出したのだが、当の本人は呑気なもので楽しそうに笑っていた。
だが、自分を心配するジャファルの表情を見るなりはっとして、心配かけてごめんなさいと謝った。
「雪に埋もれて死ぬこともあるんだ」
ジャファルはきつい表情でそう言うと、ニノ抱え上げる。
「え? あ…あたしは大丈夫だよ」
ニノの言葉に聞く耳を持たず、ジャファルは妻を家の中へ押し込んだ。
もちろん、ただ押し込んだだけではない。
雪に汚れた衣類を取り替えさせ、暖炉に火を入れ、その前に座らせた挙げ句に、毛布でぐるぐる巻きしたのだ。
「やりすぎだよジャファル。あたしまだお手伝い出来るもん」
「駄目だ。ちゃんと休んでいるんだぞ」
ジャファルは「いいな?」と視線で念を押す。
こんな時のジャファルは頑固で、ニノがどう反論しても言うことを聞かない。
過剰に過保護だと言ってしまえばそれだけだが、夫に愛されていると最も実感出来る時でもある。ニノはしぶしぶ頷いた。

暫くすると、ジャファルが作業を再開したようで、屋根の上が騒がしくなった。
「あーあ…」
ニノはふぅとため息をつく。
家の外に出る事を禁じられたニノは、ジャファルを応援すら出来ない。
ジャファルの事だから、うっかり屋根から落ちて怪我をするなんてこと絶対に無いので、その点について安心してはいても、屋根から落とした雪を片付けるくらいは手伝えたはずなのに…
「ジャファル、一人で大変だろうな…」
しょんぼりとして、呟く。
自分にも何かできたら…
「そうだ!」
ニノはぽんと手を叩いた。
自分にも出来ることがあるのに気付いたのだ。
「疲れたジャファルを労ってあげればいいんだ!」

ならば準備は早い方がいい。
ニノは早速毛布から抜け出すと、雪解け水や汗で濡れた体を拭くためのタオルを用意したり、ジャファルが戻ったらすぐに淹れられるようお茶の準備をしたりした。
「それから…えーと」
あれこれ考え、思いつく限りの作業をしていたら、時間はあっという間に過ぎていった。

「ただいま」
「お疲れ様ジャファル。もう終わったの?」
「ああ、思ったより大したことなかった」
それは積雪の量の事か、それとも雪降ろしの作業の事かどちらの事なのか分からなかったが、ジャファルとニノの家は一般的な住まいと比べ小さい方とはいえ、初めての作業を難なく…それも短時間で済ませられる夫をニノは改めて凄いと思った。
「さ、ジャファル。こっちに来て」
ニノは赤々と燃える暖炉の前にジャファルを引っ張って行くと、いつもジャファルが帰宅する時のように上着を脱がせ、雪を払い、それらを暖炉の近くの壁へかける。
いつもと違うのはここからだった。
「ニノ?」
「いいからいいから」
ニノは暖炉にかけられていた鍋から盥に湯を移すと、用意してあった水を混ぜて丁度よい温度にする。そしてその湯にタオルを浸して固く絞り、ジャファルの上半身の身につけていた衣類を脱がせてその体を拭き始めた。
ジャファルの疲れを取るように、ゆっくりと優しく丁寧に、作業で流した汗と汚れを拭う。
「ニノ、自分で出来るからちゃんと休んだ方が…」
「駄目だよ、あたしにやらせて!」
遠慮するジャファルにピシャリと言い放つ。
ニノの気持ちを察してくれたのか、それ以降のジャファルは協力的だった。
ジャファルの表情が心地よさそうに緩む度にニノの心も暖かくなる。
そうして作業をつつがなく終わらせ、ジャファルが乾いた清潔な衣類に身を包むと同時に、ニノは次の行動に移った。

「ジャファル、ここに座って待ってて」
ニノがクッションを敷いた椅子を暖炉の前に引きずって来た。
「…ニノ?」
「いいから、そこに座って待ってて」
待つこと暫し――

「さぁどうぞ」
戻ってきたニノが手にしていたのは小さなお盆。
その上には温かい紅茶とお菓子がのっていた。
「ジャファル、本当にお疲れ様」
ニノが渡してくれたカップを受け取ると、温かな湯気が冷えきった頬や鼻先をくすぐる。
そして紅茶を飲むと体の中から温まる…ほっとする、ということなのだろうとジャファルはしみじみと感じた。
「体が温まるな…ありがとう、ニノ」
「どういたしまして。お菓子も食べてね」
そう言ってニノが勧めるお菓子の類…それはニノの好物で、ジャファルはお前が食べろと言って普段はあまり口にしないのだが、今日は是非食べてほしいという雰囲気だったので素直にそれを食べようと手を伸ばす…その時、ニノがジャファルの背後に回り込んだ。
「ニノ?」
「あ、ジャファルはお菓子食べてて」
振り返ったところでニノがジャファルを制止する。
前に向き直ったらジャファルの肩に小さな手のひらが添えられた…
「痛かったら言ってね」
そう言ってから肩を揉み始める。
正直なところ、ニノの力では痛いどころかくすぐったいくらいなのだが、ジャファルにはニノの思いやりの気持ちが何より嬉しかった。

ニノの拙いけれど心が籠った肩揉み…
大事な人が自分を大切に労ってくれる。それはなんて幸せな事だろう。
だからこう言うのだ。
「ありがとう、ニノ」
何度も、限りなく。
この満たされた心を余すことなく全て表現する術など、自分は持たない。
今…自分がどれだけ幸せかを取り出して、ニノに見せて示せたらいいのに…
そんな歯痒さすらも、今は甘く感じられる。

ニノの指の感触に浸りながらつらつらと考えていたジャファルの意識は、その心地よさに誘われるかのように、次第に微睡みへと落ちていく。
普段は意識すらせず断ち切る誘惑に、今は身を委ねたいと思った。

「……ジャファル?」
「…………」
「ジャファル、寝てるの?」
肩越しにそっと覗き込む。
「………」
…こんなことは初めてかもしれない。
ジャファルの穏やかな寝顔にニノは嬉しくなった。
大好きな人がこんなに傍で気持ち良さそうに眠っている…愛しさが込み上げてきて、ニノはジャファルの頬に口付けた。
ジャファルを起こさないよう、そっと優しく。

外は雪。とても寒い。
だけど二人のいるこの場所は、この場所だけは、とてもとても暖かかった。






あとがき

故子です。冬らしく雪をテーマにしたお話を書いてみました。
以前お題で雪遊びをするジャファニノの話を書いてしまったので、今回は趣向を変えてみました。
雪とジャファニノって似合うと思います。
やっぱりジャファニノ大好きです。

駒緒です。
寒い季節もジャファニノはアツアツですよね…お互いがいれば冬も乗り切れるはず!とか思います。
最初はニノがただの役立たず状態でしたが、雪下ろし終わったジャファルを労ることができてよかったかな、と…
読んでくださってありがとうございました。

2008.2.18