家族



3、旅立ち



真っ赤に迫る夕焼けが自分を襲ってくるように思えて、怖くなったレイは走る。
息をきらせて、転がるようにして、ただやみくもに走る。

みえた!
…おとうさんだ!

見慣れた黒い人影の元まで辿り着くと、レイは父の足にぎゅっと抱きついて、彼の膝程の高さまでしかない頭をぐりぐりと擦りつけた。
「どうした、レイ?」
父は屈み込んでレイの体をひょいと持ち上げる。すると一気に視界が変わった。

たかい…

あれほど遠かった空がぐんと近くなる。
レイは思わず手を伸ばす。
しかし、手のひらは空を切るばかりで何も掴む事は出来ない。

「どうしたの、レイ? お空になにかあるの?」
いつの間にか傍らにもう一人。優しく暖かい人が現れる…母だ。
見ると、母の腕には自分と同じのようにルゥが抱かれていた。
だが、ルゥはすやすやと眠っていて、いくらレイが視線を送っても目を覚まそうとしない。
手を伸ばして叩き起こそうとすると、父が母から一歩離れ、二人の間隔をあけることでそれをやめさせた。
「眠っているんだから可哀想だろう?」
レイは頬を膨らませて怒る。

ルゥにみせたかったのに…。

母に抱かれているルゥより、父に抱かれている自分の方が高い所にいるのだと。
それは確かな優越感だった。
「ほらレイ、あそこ!」
レイの気をそらす為か、母が空を指差す。
そこには一番星がキラキラと輝いていた。
夕焼け空に浮かんだ一粒の煌めきにレイはすぐ夢中になる。
そして、それを手にしようと、レイはまた空に手を伸ばした。
「レイ、お星さまが欲しいのか?」
父の言葉も耳に入らず必死で手を伸ばす。
「もっと大きくなったら届くから、それまで待とうね」
母が柔らかく微笑む。
やがてルゥも目を覚まし、家族みんなで空を見上げる。

どうしたんだろう。

急に心が痛くなる。それは…切なさ。
突然ぽろぽろ泣き出したレイを、父は背中を撫でて慰めてくれた。
例えようもない安心感に包まれる。
ずっとこうしていたい…
ずっと…



それがレイの一番古い思い出だった。
夕焼けが嫌いで星空が好き。それは今も変わっていない。
ぼやけて顔すら思い出せないが、世間で噂される『死神』と自分の記憶の中にある父親が同一人物であるなど、レイには信じられなかった。
どちらが正しいかと問われたら、自分の記憶を信じる。
疑問があるなら、それは解き明かさなくてはならない。
怒りがあるなら、それは思い知らせてやらねばならない。
レイは立ち上がる。
迷いはまだあるし、複雑な整理し切れない気持ちも抱いたままだ。
それでも、自分の進む道は一つなのだろう。
一度決意を固めると、先程まで落ち込んでいたのが嘘のように、彼の行動は迅速だった。



「じゃ、頼むぜ」
「…やれやれ、君は年長者に対する口の聞き方も知らないんですか」
「ダメだよチャド! す…すみません、サウルさん」
サウルは見るからに軽薄そうだが妙に親しみ易く、思いの他年少者から人気があった。…但し、女性以外から。
チャドは普段なら、身分のある人に対してはキチンとした対応をするはずなのに、サウルと接する時はいつもの調子で喋っている。
ルゥですらも一応窘めはするが、多少の無礼な振る舞いに気分を損ねる神父でないと承知しているので、本気で咎めているわけではない。
「じゃあ…お願いします」
「わかりました…えぇと…アフェランから保護された孤児達は引き続き、私どもエリミーヌ教団に任せてください」
聖職者らしく言葉遣いは丁寧だったが、そこはかとなく軽い印象を受ける対応。それなのに何故か信頼出来る…
サウル神父はそんな不思議な人物だった。

チャドの提案はこうだった。
エトルリア本国からこの戦いに参加している兵達は、近日中にフェレを出発する。
本来ならルゥ達も共にエトルリアへ向かい、エリミーヌ教団に保護された子供たちを引き取りに行く予定だった。
だが、目的を果たしてルゥ達がエトルリアへ到着するのは、本隊が凱旋する予定日よりかなり遅れる事になる。
そうなると当然エリミーヌ教団に引き取られていた子供たちは待ちぼうけ…いや、下手したらルゥ達が戦死したと思うかもしれない。
そこでルゥとチャドは、サウル神父に子供たちへ手紙を託したのだ。
ヨーデル程とは言えなくてもサウルもかなり多忙な身の上だから、渋られるかと思わぬでもなかったが、彼は意外や親切に受けてくれた。
いや、後ろで目を光らせている護衛の弓兵の視線が怖かったからかも知れないが…
サウルの懐に仕舞われた手紙は、様々な事を綴ったせいで枚数がかさみ、ずっしりと重い。
その重さは、子供たちを思うルゥの気持ちの深さを表していた。

「本当にありがとうございます…」
ペコリとルゥが頭を下げると、チャドもそれに倣う。
正直。手紙だけなら専用の配達人に頼むのが筋かもしれないが、教団の神父へ直接手紙を託したとなれば、子供たちはより安心するだろうし、後ろ楯を得ることで施設への印象も良くなる。
そうした事情を全て踏まえていながらも引き受けてくれた神父には、感謝のしようも無い。
「気にしないように、きっと子供たちは一日も早く、君達が準備を整えて迎えに来るのを待っていますよ」
その言葉に、ルゥの顔色は感謝の色だけでなく「申し訳ない」という恐縮の色を混ぜる。
そう。
この話はルゥとレイが院長先生の手紙に記された場所まで行く『寄り道』に関するものではない。
『準備』…これがチャドの案の軸となる部分。

院長先生を看取った直後の事だ。
ついにアフェランへ進軍してきたベルン本隊に、行軍の邪魔になると孤児院は火をかけられ焼失してしまった。
もし、予定通り子供たちを引き取りに行ったとしても、まだ戦後で物資も少なく誰しも生活が苦しい中。以前通り村からの援助を期待出来るとは思えない。
住む所はおろか、資金を得る手段さえ無い。それが今のルゥ達の現状だった。
もちろん、すぐ迎えに行きたいのは山々だ。
しかし、先にアフェランに戻り、住処と資金を得る基盤を見つけ、新しい生活を始める準備が整うまでは、孤児達にはこのままエトルリアに留まってもらった方が良いのは確かだった。
まずはアフェランに戻り、子供たちを迎える準備を整える。
このチャドの意見は非の打ち所の無い正論。
そして、その途中にあるルゥとレイの生家に寄った所で、特に問題はないはずだった。
結果として、チャドの提案は正論であると同時に、自分達…いやルゥにとって非常に都合の良いものとなった。
だが、当初の予定通り今すぐ子供たちを引き取りに行っても、ひもじい思いをさせ、住む場所すら覚束ないのでは全く意味が無い。
その為にも、例え負担をかけるだけだと分かってはいても、エリミーヌ教団からの支援は頼らざるを得ない必要な存在だった。

すっかり言いくるめる形になったが、チャドにとって優先すべき事は、ルゥとレイを院長先生の手紙に記されていた『あの場所』へ連れていくこと。
これは、チャドとレイが不在の中。孤児院の年長者として皆を守って苦労し通しだったルゥに、多少なりと報いたいと言うチャドの我が侭だった。
ルゥはそんなチャドの計らいに申し訳なく思いつつも、生家を訪ねたいという自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「ありがとう、チャド」
だから、ありったけの感謝を込めた礼を言う。
チャドという友人が居てくれて良かった。そう、心から思った。



「おい、ばあさんは居るか?」
「ゲっ…レイじゃねーか」
藤色の長髪を背中に垂らし、細身で背の高い青年が如何にも『しまった』といった様子で本を閉じた。
見ればその本は『アポカリプス』の魔導書。
それは闇魔導士から理魔導士に転向したこの青年…ヒュウにとって必要のないものだが、その体に流れる血に惹かれるものがあるのかもしれない。
ヒュウは突然の訪問者に、気まずそうな笑顔を浮かべる。
「何ビクついてるんだ? 別に見たって…」
「ばあちゃんに見付かったら何て言われるか…『お前に触る資格なんぞないわー』って杖でぶん殴られるに決まってる…」
「…………」
まぁ確かに、彼の祖母ニイメならそう言うだろう。
彼女に師事したレイだから分かる。あれは怖い。

「で、当のばあさんは何処に?」
「ああ、それなんだよ。レイ、お前に伝言があるんだ」
「伝言? って事はばあさんはもう居ないのか?」
ヒュウは複雑そうな顔をして頷く。
「今朝いきなり『至急行かなければならない所が出来た』って…で、これと伝言を預かったんだ」
ヒュウはアポカリプスを指す。
「はぁ?」
アポカリプスを…?

『アポカリプス』
ベルンに隠されていた闇の神将器。
その管理は、山の隠者として名高いニイメに一任されていた。
実際の戦闘ではレイが借り受け使用したが、その権利は今も健在のはずだ。
このアポカリプスの魔導書は、真なる闇への探求には欠かせぬもののはず。それを手放したというのか。あの…ニイメが。

「伝言は『お前に任せた。好きにしろ』だってさ」
と、ヒュウはほいっと投げるようにしてアポカリプスをレイに渡した。
「…………」
我が師ながら呆れたものだ。
あればあったで、便利というだけでは決して済まない危険な代物だと言うのに…
だが。
「ああ、有り難く頂いておくぜ」
この力を欲していたのもまた事実だった。
アポカリプスを手にすると、魔導書は喜んだような低い鼓動をレイに伝えて少年を受け入れた。
「しかしばぁさんはも薄情だよなー。本当ならこのままイリアの俺んちに行って修行するはずだったんだろ?」
そう、そのはずだった。
ニイメの知識を学ぶには、この戦争中のみという短い期間では足りな過ぎる。
レイはこのままイリアへ同行する予定だったのだ。
その約束を延期するために訪問したのに、肩透かしを食らったレイは我知らずため息を吐いた。
「まぁ暫くしたら戻るだろうから、そん時訪ねて来いよ。お前の好きそうな本が沢山あるから、もしばあちゃんが居なくても飽きないだろうし」
ヒュウはさらさらと紙切れに自宅の住所を書くとレイに渡した。

「…これからお前はどうするんだ?」
紙切れを魔導書にはさみながら、ついそんな言葉が口を出る。
闇の一族の継承者としての立場を放棄したのはヒュウの意思だが、その座を奪う形になったレイには多少なりと後ろめたさがあった。
見るとヒュウも旅支度をしている。彼も直ぐに旅立つのだろう。
「ああ、母さんの実家を訪ねてみようと思ってね。俺の母さんが理魔導士だってのは話しだろう? その母さんの実家がリキアにあるんだ。せっかくだから訪ねてみようと思ってさ」
魔導師としての才能は血筋に由来される事が多い。
自分のルーツを知る事は、魔導を志す者にとって重要かつ必要な事だ。
「そうか…頑張れよ」
レイはそれだけを言い残すと、足早に部屋から立ち去った。
「へ?」
部屋に残されたヒュウは、少年の意外な言葉に暫く固まったままだった。



待ち合わせの時間が過ぎていく。
ルゥは親しい友人や、世話になった人達一人一人に挨拶をして回ると言っていた。
誰からも好かれる人気者のルゥにとって、それはかなり大変な作業に違いない。遅れるのも頷ける。
チャドもかなり顔が広い。それに用事があると言っていた。中々戻って来ないのも頷ける。
こうなると、時刻通りにちゃんと来た自分が馬鹿みたいだ。
独り、フェレ城の城門の前で待ちぼうけを食らったレイは、苛々を噛み砕きながら足元の石を蹴飛ばして八つ当たりをしていた。
石は転々と転がり、ある所で止まった。
それは、見知った人影。

「レイ…行くのですね…」
ソフィーヤ。ナバタの巫女。
彼女が現れる時はいつも唐突だ。多分その存在が空気のように希薄だからだろう。
ソフィーヤは『儚い』という言葉を体言したかのような少女だった。
「…ああ」
じっと見つめる紫水晶のような瞳から視線を逸らし、レイは頬を染めた。昨晩の事を思い出した為である。
しかし、珍しい事もあるものだ。
レイは旅装に身を包み、背に大きな鞄を背負っている。見て分かる事をソフィーヤが問う事は滅多に無い。
「気を付けてください…嫌な…予感がします…」
「大丈夫だ。俺にはコレがある」
レイは胸を叩く。そこにはアポカリプスの魔導書がある。
だがソフィーヤの表情は暗いままだ。
「一緒に行けたら……いいのですが…」
「それは…」
半分とはいえ竜である彼女は、ナバタへ戻らなければならない。
もし、一緒に行けたら…
強引に誘えば彼女は来てくれるかもしれない。だが、自分達の問題に彼女を巻き込むのは躊躇われた。
それは、まだ幼い彼が張った、精一杯の強がり。
「…これで会えなくなるわけじゃない。ナバタはまた行ってみたいと思っていたんだ…だから…」
その先は言葉にならない。
「はい、待っています」
いつも寂しげな顔ばかりの少女が、まるで花の咲いたような微笑を浮かべる。
レイは余計に照れて、視線どころか顔すらそむけて赤くなった顔を隠す。
「あ…お二人が来たようです」
見ると、向こうから手を振って駆けてくるルゥとチャドの姿があった。


別れは簡単に終わった。
「良かったの? レイ」
「ああ、いいんだ」
それ以上聞くなと言わんばかりにレイは早足で歩き出した。
ソフィーヤの視線を感じる。
レイは一度振り返り、視線に意思を乗せて彼女の想いに応えると、もう振り返る事無く先を目指す。

アフェラン…少年達の故郷を。




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