| 家族 2、手紙 封筒から取り出した院長先生の手紙は、彼が秘密を守ってきた年月を染み込ませたように端の部分が茶色く変色していたものの、肝心の文字が書かれた部分は元の状態を保っているように見えた。これなら読むことに支障は無いだろう。 ルゥが肌身離さず持っていたと言うから、もしかしたら痛んでボロボロになっているかも知れない…と、密かに危ぶんでいたレイはほっと胸を撫で下ろす。 「…いくよ」 ルゥはレイが頷いたのを確認すると、ゴクリと生唾を飲んで心を落ち着け、丁寧に折り畳まれていた手紙をゆっくりと開いた。 「…院長先生」 「……………」 懐かしい文字。 それは間違いなく院長先生直筆の手紙だった。 ルゥは優しく几帳面な彼の人柄が表れている文字を指でなぞりながら、声に出してその内容を読み始める… ルゥとレイへ。 この手紙をあなた達が見ている…という事は、私はもうこの世に居ないのでしょう。 万が一と思い、この手紙を残しておきます… 読み終ったと同時に、レイは勢い良くルゥから手紙を取り上げると、力の限りくしゃくしゃに丸めて壁へ投げつけた。 「レイ!!」 レイはそのまま兄が咎めるのも聞かず、扉を開けて部屋から飛び出す。 「わっ! 何だ!?」 扉の前で二人の邪魔をしないように気を利かせて待機していたチャドが、いきなりの事に驚いて飛び退く。 チャドは険しい顔をして飛び出してきたレイを呼び止めようとするも、彼はその手を振り払い、どこか遠くへ駆けていってしまった。 遠ざかっていく弟より部屋に残されたままの兄の方が気になる。 チャドはやれやれと短く刈った栗色に近い金髪をかきあげ、サカの血を感じさせる特徴的な顔立ちをしかめて軽くため息を吐くと、赤錆び色の外套をはためかせて開け放たれた扉から部屋へ入る。 その歩みは、彼の職業が盗賊であることを感じさせる音の無い静かなものだった。 「よう、ルゥ」 ぽつんと床に座りこんでいるルゥ声をかけると、少年は弱々しい微笑を浮かべて返事をし、レイが当たり散らしたせいで床に転がっている手紙を拾うと、それを指でのしをつけながら丁寧に広げ、元そうされていたように折り畳んで封筒の中へしまった。 チャドはそんな如何にも傷付いている様子のルゥを見かね、彼の隣にどっかり腰を下ろすと、励ましの気持を込めてその肩を音が出るくらい強く叩いた。 「大丈夫か、ルゥ?」 「ありがとう、チャド。ぼくは平気だよ」 「しけた顔なんかお前には似合わないぜ、もっと笑ってろよ」 チャドはルゥの両頬をつねると、左右に引っ張って無理矢理笑顔を作らせる。 辛い事の多い孤児院育ちの彼らは、いつもこうして冗談を言い合い、明るくはしゃぐ事によって気持ちの切り替えをしていた。 チャドの気持が嬉しくて、ルゥは痛みのあまりにじんだ涙にちょっとだけ感謝の意味を込めた涙を混ぜる。 ほんのりと、心が暖かくなる涙を。 …そうして一頻りふざけ合うと、ルゥは調子を取り戻したのか聞いて欲しい話があるとチャドに告げた。 「……ぼくのお父さん…『死神』なんだって」 「死神!?」 それは想像上の神話等に出てくる死を司る悪神の事ではない。 エレブ大陸のものにとって『死神』と言うのは、大陸最高の賞金額を誇ったある暗殺者を指す言葉である。 曰く、闇の化身 曰く、黒衣の暗殺者 曰く、死の申し子 あちこちに誇張されたとしか思えない逸話が残されていて、その噂は自然とルゥ達の耳にも入ったのだが、今にして思うと院長先生からその手の話を聞いた事が無いように思う。寧ろその話題をすると酷く悲しげな顔をしたので、てっきりルゥは先生が『死神』の事を嫌いなのだと思い込み、彼の前ではその話題を控えるようにしていたのだが『死神』がルゥの血縁者で、更に院長先生とも親しい間柄…とは言えなくても知人だった考えたら、彼がこの話題に難色を示した理由にも納得がいった。 チャドはコソドロまがいの事をしていたから、そう言った話題には多少は詳しいつもりで居たのだが、それとて人伝で正確とは言えない。 だが、事の大きさは充分理解出来た。 「マ…マジかよ…」 「うん、そうみたい…」 あまりにも突飛な話にチャドは一瞬冗談かと思うが、どんな時でも明るいはずのルゥが暗い表情をしてうなだれる姿を前にして、その話が真実だと言う事を知る。 ならば、先ほど飛び出したレイの激昂ぶりも納得出来るというものだ。 それはそうだろう。自分の親が犯罪者…それも類を見ない殺人鬼と知って気持の良い者など居るはずがない。 チャドはルゥにどう言葉をかけて良いか分からず黙るしかなかった。 「院長先生の手紙には、ぼくのお父さんは死神と呼ばれた暗殺者で、お母さんはリキアの貴族…それも有名な魔導一門の人だって書いてあったんだ」 院長先生の手紙に書かれていたこと。 それは、賞金稼ぎと『黒い牙』の残党に狙われて、家族を巻き込まないようにと失踪した夫『ジャファル』を探すために、その妻『ニノ』がルゥとレイを孤児院へと預けた経緯や院長先生が彼等の友人だったこと。そして嘘をついていた謝罪が綴られていた。 「へ? でもそれって…ようは手前のガキを捨てたって事か? …あっ」 チャドは余計な事を言ってしまったと口をつぐむがもう遅く、ルゥは黙って俯いてしまう。 そう、端的に言えばそう言う事だ。 父は家族を自分の罪に巻き込まない為に逃げた。ならば母がその後を追ったというのは道理に合わない。 母は子供を育てて生きる道と、夫を追う道の選択を迫られて後者を取ったのだ。即ちそれは、自分達が捨てられたという事に直結している。 「酷い話だな…」 チャドは憤慨する。 それはそうだろう。孤児である彼らにとって『子捨て』は最大のタブーなのだから… 「チャド! 違う! 違うんだ。きっとお母さんにはぼく達と居られない理由があったんだ! それにお父さんだって僕は悪い人だとは思えない」 それはルゥの記憶によるもの。 優しい母。 焼いてくれた菓子の味を今も憶えている。 眠れない時は抱き締めてくれて、優しい声で子守り歌を歌ってくれた。 頼もしい父。 高く抱き上げられた力強い腕の感触を今も憶えている。 手のひらはゴツゴツとしていて撫でられると痛かったけれど、とても安心出来た。 二人とも笑顔で常に優しかった。そう、ルゥにとって両親とはそう言う人達だったのだ。 世間に噂されている『死神』などと言われてもピンとこない。 子供…それも幼児の頃の記憶などあてにならないかもしれない、だが自分達の都合の良い思い込みなどでは決してない。確かに…憶えている。 それに院長先生の最後の言葉もルゥに力を与えていた。 本当なら知らなければ良い真実を伝えたのだ。ならばその事自体に何かしらの理由があると思われた。 「そうか…」 「あ…ごめんね。チャドの気も知らないで…」 チャドは両親の記憶がない。 物心がつく前に一人になり、何とか生きていた所を院長先生に拾われたのだ。だからチャドは両親というものが何たるかすら分からない。 ルゥはそれを知ってから彼の前で自分の親の話題をする事を控えていた。だから今、話の弾みであったとしても、つい心のままに話してしまった事を悔やんだ。 「気にするなよ、今更…だろ」 「気にするよ!」 自分の身に起きた事も忘れてルゥはしょげかえる。そんなルゥをチャドは笑い飛ばすと力強く言ってやった。 「でも、お前達の両親ってことは俺にとっても親みたいなもんだろ? 違うか?」 孤児院の子供達はみんな血が繋がってなくても兄弟。ならば、ルゥの親はチャドの親とも言える。 強引な話だったが、この時の二人にはそれは『本当』の事だった。 「で、どうするんだ?」 「……ぼくは、この手紙に書かれている、ぼく達の生まれた家を訪ねてみたい」 院長先生の手紙の最後は、ルゥとレイが孤児院へ来る前に住んでいた場所が記されていた。 もし、両親について更に知りたいなら訪ねるように…と意味深な言葉と共に。 ルゥは自分の生家というものに心惹かれていた。 4歳までしか住めなかった為におぼろげではあるが、しっかり憶えている。家族4人で幸せに暮らした家だ。それが残っているなら是非訪ねてみたい。 それは当然の欲求だった。それに両親の事を知る手がかりがあると知っては尚更だ。 「そうだな、なら行こうぜ! 俺も付き合うからさ!」 「…無理だよ。だって孤児院のチビ達は? 戦争は終ったんだ。早くあの子達を迎えに行かなきゃ。それに…そっちはレイに頼めば行ってくれると思うから…」 そう呟くルゥは酷く寂しげに見えた。 それはそうだろう。生きているかも死んでいるかも分からない両親の手がかり…そして思い出の詰まった家の所在が分かったのだ。訪ねたいに決まっている。 「何言ってるんだよ、いいじゃないか? 行こうぜ! エトルリアまでちょっと寄り道すると思えばいい。チビたちだって少しくらい迎えが送れても文句なんか言わないからさ!」 「…で…でも」 ルゥはいつも自分を殺して周りの人ばかりを優先する。 密かに求めていたに違いない両親手がかり…それすらも捨てようとする。 確かにレイに任せておけば良いのかもしれない。今は気が高ぶっているだろうが家族想いのレイの事だ。落ち着いたら必ず生家を訪ねるだろう。そして、ルゥが知りたかった事を全て調べてくれるに違いない。ルゥは待っているだけで良いのだ。それは一見楽なのかも知れない。 だが、ルゥは自分の目で、自分の足で、思うように両親の事を調べたいに違いないのだ。 それは長年『兄弟』として生きたチャドだから分かる事。 しかし、ルゥがエリミーヌ教会から子供達を引き取ったら、ベルン軍に焼かれてしまった孤児院の再建や資金繰りに追われて暫く身動き出来ない状態になるのは目に見えている。完全に落ち着くまで半年…いや一年かかるかも知れない。その間ルゥはずっと我慢しつづける事になるだろう。 未成年故に即院長になることは無いが、実質ルゥが孤児院の新しい院長になるのは暗黙の了解。もう決まっている事だ。 それは無理矢理にではなく、彼自身が望んだ事。世話になった院長先生の後をつぎ、みんなの成長を見守る事。責任感の強い彼らしい生き方と言えるだろう。しかしチャドからすればその考えに縛られているとも取れる。 レイが奔放な分、より、そう感じるのだ。 ならば、多少なりと自由の効く今くらい、ルゥは自分のやりたい事をやって好きに生きて良いのではないかとチャドは思っている。 「どうなんだ、ルゥ。行きたいのか? 行きたくないのか?」 両肩を掴まれ真剣に問う。 そんなチャドの勢いに押され、についにルゥは折れた。 「…い…行きたいよ、行きたい…」 一度本音が出たら後はチャドのペースだ。 「ヨシ分かった! なら俺に名案があるんだ。あのな…」 「ちくしょう…ちくしょう…」 レイはただそう呟いて心から沸き上がる暗い思いを吐き出そうとしていた。 そこは、高台に建てられたフェレ城の城門から少し歩いた所にある、城へと続く大階段の一番上。街並みが一望出来る見晴らしの良い所だ。 空は晴れ渡り、空気は澄んで清々しい陽気だった。だがレイの心は、この場の雰囲気とは裏腹に、暗く淀み、荒れていた。 何で院長先生は黙っていてくれなかったんだろう。 どうして教えようとしたのだろう。 こうやって苦しむのが分かっていたはずだ。 それなのに…何故? ―――知らなければ、夢を見ている事が出来たのに… レイは行き場のない憤りを胸に膝を抱えて蹲る。 思い悩む事に不適切なこの場所は、場所が場所なだけに人通りが多く賑やかだった。 脇を通りすぎていく親子連れが視界に入り、レイは思わず顔を背けた。 酷く惨めでいたたまれず、心が更に重くなる。 そんなレイの心に浮かび上がるのは、ある思い出だった。 |