| 家族 1、夜空 それは、大陸全土を巻き込んだベルンの動乱が終結し、その戦いを勝利へ導いた最大の功労者であるロイ将軍が、祖国へ凱旋した際に行われた祝賀会での出来事だった。 人付き合いが苦手なレイは、煩い連中から絡まれる事を嫌い、大広間から少し離れたバルコニーで独り星を見ていた。 柔らかい風が頬を撫でる。 宴の喧騒が遠くに聞こえるここは、静かで居心地良かった。 「見つけた…レイ、ここに居たんだね」 だが、この静寂を乱す者が現れた。それはレイの双子の兄、ルゥ。 機嫌を損ねたレイが文句を言ってやろうと振り向くも、その言葉はルゥの深刻な表情の前に、外へ出ることなく呑み込まれた。 「少し話があるんだけど、いいかな?」 「…ああ、構わないぜ」 緊迫した空気にレイは動揺したが、それを悟られるのが嫌で普段通りに振舞う。 …だが、いくら待ってもルゥは押し黙ったままで、中々口を開かない。 「話がないなら邪魔しないでくれ、俺は一人で居たいんだ」 そう言ってレイは再び空を仰ぎ見る。 そこにあるのは夜空を飾る満天の星々。無数の耀きは月の無い夜に彩を添えていた。 夜は落ち着く…何故だか分からないけれど、夜は静かに星を眺めているのがレイは好きだった。 「見ちゃあ居られないな」 「…っチャド!!」 この張り詰めた空気に臆することなく、声の主が柱の影から姿を現す。 それはチャド。 ルゥとレイの兄弟分にあたる少年だった。 いつからそこに居たのかは知らないが、その存在に全く気付けなかったレイは、その落ち度を誤魔化すかのように大声で少年の名を呼んだ。 チャドはレイに構う事なく頭を掻きながらルゥの隣まで歩み寄ると、その肩を軽く叩いた。 「無理しなくていいんだ、俺から言うのは筋違いかも知れないけれど、こう言う時は頼ってもいいんじゃあないか? だって俺たちは家族なんだから」 「…ありがとうチャド。でも…これは院長先生から言われた事だから、僕が言わなきゃいけないんだ」 「一体何の話なんだ!! それに院長先生って…」 二人の会話に置いてきぼりを食らって更に苛立ちを高めたレイが詰め寄る。 そんなレイの瞳をじっと見つめて、ルゥはついに口を開いた。 「良く聞いて、レイ。院長先生の遺言を…」 それはこの動乱が勃発した当初。アフェランの片隅にある孤児院で起こった出来事だった。 「院長先生!!!!」 金色の髪をした修道士がベルン兵の剣に袈裟懸けに切られ、倒れる。 ゆっくりと地に伏した修道士にベルン兵は一瞥すると、それ以上手を出す事なく目的は果たしたと言わんばかりに本隊へと去って行った。 「先生しっかり!!」 ルゥが駆け寄ると、彼の着ている僧服は真っ赤な血で紅に染まり始めていた。 孤児院の子供達は泣きながらも力を合わせ、なんとか院長先生を彼の自室の寝台へと運んだが、彼が受けた傷は深く、治療の杖を使えるものなどこの孤児院はおろか近隣の村にも居るはずなく、最早打つ手無く死を待つばかりとなった。 孤児院の子供たちにとって院長先生は父であり母である掛け替えの無い人。皆泣いて彼に縋った。 ルゥとチャドも例外なく自分の無力さを嘆き、無駄とは知りながらも院長先生に治療を施す。 真っ白い包帯は幾ら替えてもすぐ赤く染まり、彼の死を否応なく子供たちに実感させた。 「すみません、私が至らないばかりに…」 息をするのも辛いはずなのに、院長先生は皆を励まそうとする。 「先生! しゃべらないで下さい」 「いいえ、私はもう助かりません。皆にちゃんとお別れさせてください…」 院長先生は弱々しく首を振ると、孤児院の子供たち一人一人に言葉をかける。ある子は励ましを、ある子には忠告を…子供たちは泣きながらもその言葉を心に刻んだ。 …そして、皆への話が終わり、最後にルゥを残すのみとなった。 「ルゥ…話があります…とても大事な…他の子は席を外して戴けないでしょうか?」 死相がはっきり出ているというのに、院長先生は笑顔を浮かべ、皆に心配かけないよう明るく言った。 子供たちは素直に言う事を聞いて名残惜しげに部屋から出て行く、チャドも出ようとしたが、ルゥは彼を引き止めた。 「臆病って言ってくれていい。一緒に居て欲しいんだ。」 その手が震えている事に気付き、チャドは頷くとルゥの隣で院長先生の話を聞く事にした。 「…ルゥ、この話はレイにも伝えてください。…私はあなた達に謝らなければいけない事があります…」 「謝ること?」 「はい。私はあなたとレイに、ご両親の事を『死んだ』と言いましたが、それは嘘なのです」 「…え?」 ルゥは手が真っ白になるほど強くシーツを握り締めた。 僅か4歳で孤児院に引き取られたルゥとレイ。まだ人の死を理解するのも困難な幼子に院長先生は両親の事を『流行病で死んだ』と言い聞かせた。そして素直なルゥはその言葉を疑ったことも無かった。 「本当はどうしようもない無い事情があり、仕方なくあなた達を手放したのです。…大人になるまで伝えないで欲しいというニノさんとの約束で言えなかったのです…今まで黙っていた事をどうか許してください…」 「ニノ? それが僕の母さんの名前なの?」 「はい…そうです…」 「もしかして…僕のお父さんとお母さんは生きているの?」 「いえ…わかりません。本当ならもっと詳しく話したいのですが…どうやら…時間がないようです…」 「そんな先生!! そんな事言わないで下さい。」 「ルゥ!!」 チャドは寝台に身を乗り出したルゥの肩を抱いて落ち着かせようとするが、ルゥは明かされた事実に混乱し、取り乱していた。 「…私の机の…カギの付いている引き出しに日記があります。…その日記に挟まれた手紙を見てください。私の言わなければならない事が…そこに書いてあります…」 「先生!!」 「…………」 ゆっくり眠りにつくように、院長先生は目を閉じた。 そして、その目が開く事はもう二度と無かった。 「なんだって!!」 ルゥの話が終わり、その言葉が脳に浸透すると、レイは反射的にルゥに掴みかかった。 その手をチャドが待ち構えていたかのように止める。 「なんで今まで言わなかった!!」 力ではチャドに敵わない。動かせない腕の代わりにレイはルゥを睨みつけて、血を吐くようにして叫んだ。 「ごめんね、でも言えなかったんだ…どうしても」 その悲しげなルゥの言葉に、レイの力が緩まったのを感じたチャドは拘束していた手を解放する。 掴まれて痛めた腕を擦りながらレイは落ち着くようにゆっくり息を吐くと、悔しそうに言った。 「察しはつくさ…戦争中に話したら俺は何もかも放り出してしまう。そしてお前はそんな事は出来ない。落ち着いて話の出来る状態になるまで隠そうって腹だったんだろ…信用ないな…」 「うん。その通りだよ。」 ルゥは目を伏せて素直に頷いた。 ルゥの判断はきっと正しい。けれどレイはそう簡単には割り切れなかった。 両親に対する執着心…それはレイが隠しながらもずっと懐いてきた想い。 その虚勢も、尖った態度も、全てはそこからくる寂しさの裏返し。 レイは両親について聞かれても、まるで他人事のように「興味がない」とそっけない対応をしていた。 だが、本当は違う。あまりに繊細で脆く、弱みともとれる大事な想いだった為、誰にも語れなかったのだ。 しかし、それをルゥは見抜いていた。 昔…父と母を恋しがって泣いた夜の思い出がレイの心に過ぎる… そして、そんな自分を慰めたのは、たった一人の肉親…ルゥだった。 ルゥの眼差しはあの頃と変わらない。 「少し…考えさせてくれないか。気持ちの整理がしたい」 「うん、分かった。ここに院長先生の手紙が あるんだ、レイ…落ち着いたら読もう」 「え? もしかして…まだ読んでないのか?」 「そうだよ、レイと一緒に読もうと思っていたんだ」 「…………」 双子の兄だというに、全く理解出来ない。何故読まずに居られるのだろう? チャドはそんなレイの肩に自分の腕をどっかりと乗せ、その耳元で囁いた。 「本当にルゥって融通が利かないよな〜。何度も読むよう勧めたんだけどよ、レイと一緒でなければ絶対読まないって聞かなかったんだ」 「……無くしでもしたら、どうするつもりだったんだ」 「さぁな? でもルゥらしいだろ?」 「………ああ…って重いぞ!!」 レイは自分の肩に乗せられたチャドの腕を思いっきり跳ね除ける。急なことにチャドはバランスを崩してよろけた。 「なにするんだよ!!」 そうして言い合いを始めた二人を、ルゥは笑顔で見守っていた。 一人、夜の城内を散策する。 流石…と言うべき庭の広さに嘆息しながら、その中央に作られた池の縁を歩く。 何気なく小石を拾い、しんと静まりかえった水面に投げ込む。 小さな水音と共に波紋が広がると、寝ている所起こされた鯉が気難しげにぱしゃりと水を跳ねさせた。 水面に映し出された自分の姿が波紋に揺らされて、何だか酷く頼りなげに見える。 両親の事などもう忘れていた。否、忘れようとしていた。 昔、恋しくて泣いた事もあった。ルゥが居なければ自分は寂しさのあまり死んでいたかもしれない。 もし今、両親が生きているのだとしたら、それはどのような事情があるにせよ自分は親に捨てられた.…という事になる。 それに思い至った時、レイの心は黒い氷の塊を押し付けられたように冷たい痛みに襲われた。 ルゥは分かっていたのだ、自分が両親に未だに執着している事を。本当は忘れてなど居ない。蓋をしているだけで心の奥底では求めているという事を。 落ち着こうと一人になったはずなのに、その心は余計に荒れて、突風を受けた小船のように大きく揺れ動いた。 恋しいと思う心と、裏切られたと思う心。相反する二つの心はまるで千切れそうな痛みをレイにもたらし、堪り兼ねた少年はその場に腰を下ろした。 自覚はしていたが、自分の中で二親に対する想いがこれほど大きかったのかとレイは思い知った。 ――そうだ。だからこそルゥは今の今までこの事を隠していたのだろう。 兄はそう。自分よりずっと強い。敵わない、敵わない… 想いの奔流にレイは膝を抱えて顔を伏せた。 「レイ…どうしたのですか? こんな所で…」 「…ソフィーヤ」 そこに現れたのは、まるで月の化身のような少女。特徴的な長い髪が燐光を放っているように淡く輝いている。 そして、その澄んだ眼差しでじっとレイを見つめていた。 そう、何もかも、見通すように… 「お前には関係ないだろう」 つい強がって余計な事を言ってしまうのは、レイの悪い癖だった。 そんなレイの言葉など聞かなかったようにソフィーヤはレイの隣に座る。その間も彼女の視線がレイから外れる事は無かった。 普段ならその眼差しはうっとうしいと感じられるものだ。だが、その見守られているかのような眼差に、レイは何か暖かいものに包まれているような安心感を得ていた。 ソフィーヤは何も聞かないし、何も言わない。ただレイの隣にいた。 どれくらいそうしていただろう。それは短いようでもあり、長いようでもある。 ついに根負けしたようにレイが口を開いた。 「お前…自分の両親をどう思っているんだ?」 それは自分に対する問いでもある。持て余した心が溢れて、人に尋ねるという形の捌け口を欲したのだ。 「恨んでいないのか? 竜族との混血なんて…」 それは言ってはいけない事かもしれない。だが少年は一度出した言葉を戻す事が出来なかった。 「いいえ…恨んでなど…いません。」 少年からの唐突で不躾な問いに、少女は抑揚のない涼やかな声で答えた。そして、言葉を切って空を見上げる。 そこには先ほどと変わらぬ一面の星空。晴れ渡った夜空。 「私が今ここに居て…そしてレイ、あなたとお話出来る…それは私の両親が居てこそなんだと思います…」 「…………。」 「だから…レイ。私は自分の両親に心から感謝しています。そしてあなたのご両親にも感謝しています…。だってあなたと会えたのは、あなたのご両親が居ればこそ…ですから…」 「でもそれは理屈だ!」 レイのその言葉は叫び声に近かった。 きっとソフィーヤは全てを見通しているのだろう。そう思うと余計にレイの心は荒れた。ソフィーヤは痛ましそうな眼差しでレイを見ると、そっと少年をその胸に優しく抱き込んだ。 そして、頭を撫でる…。 いつもなら恥ずかしくて跳ね除けそうなものだが、今レイは大人しく目を閉じてソフィーヤの心臓の音を聞いていた。 「大丈夫です。不安にならないで…みんなあなたのことを好きですから…」 少女の心が、頑なな少年の心に染み入る… もし、自分の両親が生きていたら…自分はどうするのだろう。 どんな事情があったにせよ、手放したという事実に変わりは無い。恨む気持ちはある。 …でも願うことは、やはり会いたいという事。 例え拒絶されたとしても一目でいい、会ってみたい。 そして、自分の事を知ってほしい。 忘れていたらぶん殴って思い出させてやる。 そう考えたらレイの口の端が自然と持ち上がり。笑顔になった。 自分を想ってくれる存在が、少年の心に光を灯す。 それは、人の為にこそ強くなろうとする少年の本質なのかもしれない。 「ありがとう、ソフィーヤ。俺も…お前に会えて良かった…」 耳まで真っ赤にして言う少年の表情は、自分の胸に埋もれていて見ることが出来ない。 ソフィーヤは柔らかく微笑むと、囁くように歌い出した。 懐かしい旋律… 聞いた事のない歌のはずなのに、レイは何処かで聴いたような不思議な懐かしさを感じていた。 星空は優しく二人を照らす。 歌声は風に乗って遠い夜空へ吸い込まれていった。 翌日、レイはいつもの不敵な笑みを浮かべて、ルゥを訪ねた。 真実を知るために。 |